『昭和の町』大分県豊後高田からつけもの本舗“こうこう屋”がご提供する漬物専門店
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豊後高田と昭和の町について
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“昭和の町”豊後高田市が存在する、大分県「仏の里」国東半島にはたくさんの見所や歴史があります。その中から一部ではありますが、豊後高田と昭和の町についてご紹介いたしております。
意外な発見や知らなかった事があるかもしれません。どうぞご覧下さい。

 
大分県「仏の里」国東半島の豊後高田市  
 

大分県の形の人がうつむいたように見えます。その頭の部分が国東半島でその後頭部に当たる部分に「豊後高田市」があります。
今の国東半島を中心とした国崎郡は、来縄・田染・伊美・国前・武蔵・安岐の六郷に分かれていたので六郷山と言われるようになりました。その六つの郷は天台宗(比叡山延暦寺 開祖:最澄)と結びつき、山間に多くの寺院を擁立して、独特の仏教文化(宇佐八幡信仰と新羅から入った仏教が融合した山岳信仰で奈良時代に始まった国東独特のもの)を花ひらかせていきました。
これが六郷満山文化といわれるものでもあります。
豊後高田の山あいを訪ねれば、富貴寺大堂(国宝)、真木大堂(国重要文化財)、熊野磨崖仏(国重要文化財・史跡)などの見事な文化財や、また名もない石塔や野仏等に出会うことができ、六郷満山文化の息吹が満ちています。 様々な仏の形を残す国東半島は「仏の里」と呼ばれる由縁を今も残し、文化と息づく穏やかな地域です。

参考:豊後高田市観光協会

 
仏の里国東半島の「ちょっと自慢できる」を少しだけ紹介!

宇佐神宮

日本各地に4万社余りある八幡社の総本宮。本殿は八幡造(はちまんづくり)とよばれる様式で建てられており、国宝に指定されています。宝物館では数百点におよぶ文化財を展示されています。



富来城跡

富来城は(城主 筧家純 息子は真田十勇士の筧十蔵)1261年に築城したお城です。中津城城主黒田勘兵衛の黒田如水軍に攻め込まれ、落城しました。その時黒田軍として宮本武蔵が参戦し、塀を乗り越える際、太股を槍で串刺しされるが柄を折って戦ったと伝えられています。余談ですが宮本武蔵の父無二斎は黒田家(中津城)と木下家(日出城)に仕えていたといわれていますので、大分県は宮本親子に縁深い土地だといえるでしょう。

※宇佐神宮上り口「宮本武蔵 誠心直道之碑 二天一流八代鉄心書」の石碑有り
 
『お帰りなさい。思い出の町へ』 豊後高田“昭和の町”  
 
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな"お町"として栄えていました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。
ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか?
貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。
豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。
時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。
平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。

引用 : 豊後高田 昭和の町 ホームページより
  豊後高田市 昭和の町



“昭和の町” を 撮影していただきました!

映画、テレビドラマ、CMなどのロケーション撮影を誘致している 『京築フィルムコミッション』 さんに “昭和の町” を撮影していただきました。 ステキな写真を撮っていただいたので、一部をご紹介させていただきます。
『京築フィルムコミッション』 さんのホームページでも、“昭和の町”を紹介していただいています。
本当にありがとうございました。

≫ 京築フィルムコミッションさんのホームページ

豊後高田市 昭和の町   豊後高田市 昭和の町   豊後高田市 昭和の町   豊後高田市 昭和の町
 
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